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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)10947号 判決 1998年2月26日

神戸市中央区港島中町二丁目五-一-五一六

(事務所所在地・大阪府羽曳野市はびきの四丁目六番四号)

原告

日本心身障害者更生援護会ひまわり園こと

柿原保

大阪府南河内郡河南町大宝一-二六-一二

(事務所所在地・大阪府羽曳野市羽曳が丘西三丁目六番一四号)

被告

ひまわり園こと

新開英夫

大阪府羽曳野市羽曳が丘西三丁目六番一四号

被告

ひまわり園こと

新開加代子

右両名訴訟代理人弁護士

藤田裕一

藤田洋子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

被告両名は、「ひまわり園」の商号を使用してはならない。

第二  事案の概要

本件は、現在大阪府羽曳野市はびきの四丁目六番四号において「ひまわり園」の名称で簡易心身障害者通所授産施設を運営しているという原告が、同市羽曳が丘西三丁目六番一四号において「ひまわり園」の名称で心身障害者施設を運営している被告新開英夫(以下「被告英夫」という)及び被告新開加代子(以下「被告加代子」という)の姉弟に対して、「ひまわり園」の名称は原告の営業を表示する商号として広く認識されており、被告両名は「新ひまわり園」又は「ひまわり園」の名称を使用して原告と同様の心身障害者施設を運営することにより、原告の営業との誤認混同を生じさせているから、不正競争防止法二条一項一号の不正競争に当たると主張して、同法三条に基づき「ひまわり園」の名称の使用の差止を求めるものである。

被告両名は、羽曳が丘西三丁目六番一四号所在の「ひまわり園」は原告及び被告両名の三名で共同して運営してきたものであると主張し、原告は、被告両名を従業員として雇用して原告単独で運営してきたものであり、これを平成八年一〇月に現在のはびきの四丁目六番四号に移転したものであると主張する。

本件の中心的な争点は、「ひまわり園」の名称が原告の営業を表示する商号として広く認識されているか否か、被告両名が「新ひまわり園」又は「ひまわり園」の名称を使用して心身障害者施設を運営することにより原告の営業との誤認混同を生じさせ、原告の営業上の利益を侵害しているか否か、という点である。

第三  争点に関する当事者の主張

【原告の主張】

1  原告の商号である「日本心身障害者更生援護会ひまわり園」及びその通称である「ひまわり園」の名称は、次のような経緯により、原告の営業を表示する商号として広く認識されているということができる。

(一) 原告は、昭和四三年に大阪市東淀川区に「日本心身障害者更生援護会」を創設して以来、福祉事業の啓発、施設づくり、施設事業を営んでおり、昭和五五年四月、守口市内に心身障害者施設「あゆみ作業所」を設置してその運営を始めた。また、原告は、昭和五七年一月二三日、大阪府知事より街頭募金の認可を受け、幅祉団体として公に認められた。

(二) 原告は、昭和六〇年九月下旬、きもの着付師の荒金ときえの紹介で被告両名と知り合い、同年一〇月下旬、被告両名が両親と激しく対立した際、被告両名に知人の会社を紹介し、被告両名を原告とともに役員として右会社に就職させた。その後、原告は、昭和六三年四月一三日、近畿運輸局長に対して「霊柩寝台自動車」搬送の免許を申請し、平成二年三月三〇日、一般区域貨物自動車運送事業「霊柩寝台自動車」搬送の免許を受けた。

(三) 原告は、平成二年七月一九日、被告両名を日本心身障害者更生援護会の従業員(運転手・事務員)として雇用し、また、(一)の「あゆみ作業所」の実績を踏まえて、平成三年四月、原告が被告加代子から賃借していた同人所有の大阪府羽曳野市羽曳が丘西三丁目六番一四所在の宅地及び地上の軽量鉄骨造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅(以下「本件土地建物」という)において、簡易心身障害者通所授産施設羽曳が丘聖海更生訓練所ひまわり園(以下「ひまわり園」という)を設置してその運営を始め、被告両名を指導員として派遣した。そして、同年七月以降、被告英夫に、日本心身障害者更生援護会及び「ひまわり園」の経理事務並びに大阪府下の各福祉事務所、福祉協議会の取り扱う自動消火器、大人用紙おむつ、介護用品の営業活動を担当させていた。

(四) こうして、原告は、平成三年七月以降、商号である「日本心身障害者更生援護会ひまわり園」又はその通称である「ひまわり園」の名称を用いて、自動消火器、大人用紙おむつ、介護用品の製造販売を行っており、右名称は、原告の営業を表示する商号として広く認識されるに至っている。

なお、被告加代子は、平成八年九月二日、原告に対し一方的に前記(三)の本件土地建物の賃貸借契約を解除する旨の通知をしてきたので、原告は、同年一〇月、「ひまわり園」を現在のはびきの四丁目六番四号に移転した。

2  被告両名は、本件土地建物において「新ひまわり園」の名称を使用して心身障害者施設を運営し、また、被告英夫は、次の(一)ないし(八)のとおり「ひまわり園」の名称を使用して、原告の運営する「ひまわり園」の営業との誤認混同を生じさせ、原告の営業上の利益を侵害している。

(一) 被告英夫が平成七年七月二五日に大阪市天王寺区社会福祉協議会から防水デニムシーツ二〇〇枚分の売上金六〇万円を集金して領収証を発行しながら日本心身障害者更生援護会に入金せず、仕入先への支払にも充てていない等不明瞭な経理処理をしている事実が判明したため、原告が同年一二月四日に被告英夫を経理事務の担当から外したにもかかわらず、被告英夫は、平成八年一月三一日、大阪市北区社会福祉協議会から大人用紙おむつ、自動消火器等の売上金三一万七六六〇円を集金したのをはじめとして、平成八年八月までの間、原告の承諾もなく、「ひまわり園」の名称で、大阪府下の不特定の在宅需要者や富田林病院の入院患者等に対して日本心身障害者更生援護会製造の大人用紙おむつを販売し、同会の印章・名称を不正使用してその代金を集金した。

(二) 平成八年三月二日、福祉機器住宅研究会の機関誌「ハンディをささえるモノづくり通信」の誌上に、被告英夫は原告から事業を継承したとの虚偽の発表を行い、また、取引関係者にもその旨告げた。

(三) 同年四月一〇日午前九時二一分頃、羽曳野市役所障害福祉課木戸主幹に電話をかけ、代表者が交代する旨の虚偽の事実を告げた。

(四) 同年五月中旬頃、大阪市北区社会福祉協議会の担当者在町香月に対し、原告は入院をして連絡がとれないので協議会との契約は被告英夫個人としてほしい旨依頼した。

(五) 同年五月二〇日、近畿銀行羽曳野支店に「ひまわり園」新開英夫名義の普通預金口座を開設したうえ、株式会社メディケア・リハビリ(羽曳野市)及び石田化学工業株式会社に対して代金の振込先変更を依頼した結果、同年六月一一日、株式会社メディケア・リハビリから八万九六一〇円が、同年七月九日、石田化学工業株式会社から九万九五五〇円がそれぞれ右口座に振り込まれた。

(六) 同年五月二四日、原告が日本心身障害者更生援護会として大人用紙おむつの製造を委託している株式会社モーリに対し、被告英夫が原告から事業を継承した等の虚偽の事実を告げ、羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園内新開英夫として発注した。

(七) 同年六月二六日、原田産業株式会社に対し、原告から事業を継承した等の虚偽の事実を告げ、ひまわり園新開英夫としてエアーポンプの修理を依頼した。

(八) 同年七月、大人用紙おむつの需要者に対して、電話番号が変わった旨の案内の葉書を「ひまわり園」新開英夫の名で出した。

【被告両名の主張】

1(一)  「ひまわり園」の名称は、羽曳が丘西三丁目六番一四号所在の簡易心身障害者通所授産施設の施設名称であって、不正競争防止法二条一項一号にいう「商号」には該当しない。

商号とは、一般的に「商人がその営業上自己を表示するために用いる名称」(田中誠二「商法総則」二三八頁)とされ、不正競争防止法においては、同法の趣旨に基づき広義に解釈され、商品又は営業の標識として識別力を備えるようになっていれば同法にいう商号として扱われるが、このように広義に解釈したとしても、「商品」又は「営業」の標識という意義から離れることはできない。そして、不正競争防止法上の「営業」についても、同法の趣旨に基づき、「営業を目的としない個人又は法人その他の団体の行う事業についても、それが広く経済上その収支計算の上に立って行われる事業であれば、営業に該当する」(大阪高等裁判所昭和五四年八月二九日決定・判例タイムズ三九六号一三八頁)とされている。

しかし、簡易心身障害者通所授産施設の事業は営利を目的としないばかりか、国や地方公共団体から補助金が交付され、その補助金と障害者の保護者が負担する負担金によって運営される建前になっており、それでも不足する費用は施設関係者の物品提供や無償労働などで賄われているのが現実である。このことは「ひまわり園」においても例外ではない。

したがって、「ひまわり園」の事業運営は「経済上その収支計算の上に立って行われる事業」とはいえず、「ひまわり園」の名称に何らかの効用があるとしても不正競争防止法にいう「商号」には該当しない。

(二)  また、「ひまわり園」の名称は、羽曳が丘西三丁目六番一四号所在の簡易心身障害者通所授産施設から独立した個人又は法人の商号ではない。

右施設は、後記2(二)のとおり、被告両名及び原告の三名が運営主体となって運営されてきたものであるところ、ここでいう運営とは、右施設の指導的な役割を担うという意味にすぎず、施設自体の運営は、園生やその保護者を含め、同施設に関与する者全員によってなされているのである。したがって、原告が単独で右施設の名称である「ひまわり園」の名称の使用を禁止したり、被告両名だけで同施設の名称を「ひまわり園」から他の名称に変更することができるというようなものではない。

なお、被告加代子が平成八年九月二日、原告に対し本件土地建物を無償で提供する旨の合意(原告の主張する賃貸借契約ではない)を解約する旨の通知をしたことは認める。

2  仮に、「ひまわり園」の名称が不正競争防止法上の「商号」に該当するとしても、次の(一)(二)記載のとおり、「ひまわり園」の事業運営は、被告両名及び原告の三名が共同して行ってきたところ、(三)記載の経緯により、被告両名は、原告に対し平成八年九月二日付で共同関係を解消したから、同日をもって「ひまわり園」の商号の主体である共同事業体が存在しなくなったのであり、あるいは右共同事業体の事業を構成員中の多数者である被告両名で行うことにしたのであり、したがって、「ひまわり園」の商号は被告両名の共同事業体に帰属するから、被告両名が「ひまわり園」の商号を使用することは当然許される。むしろ、右三名の共同事業体の構成員中の少数者である原告が、右共同事業体の解消後に「ひまわり園」の商号を使用することこそ、許されないのである。

(一) 被告両名は、被告両名の父親が経営する新開運輸倉庫株式会社(以下「新開運輸倉庫」という)に役員として就労しており、原告は、右会社の行政関係担当の顧問に就任していたところ、被告両名及び原告は、他の役員と対立したため、昭和六一年一月頃、右会社の役員や顧問を辞し、以来三名で種々の事業を行ってきた。

(二) 被告両名及び原告は、昭和六三年二月、共同で福祉関連事業を行うこととし、原告は行政関係に強いということから対外的に代表者になり、原告において「日本心身障害者更生援護会」の商号登記をし、以来共同で日本心身障害者更生援護会の名称で福祉関連事業を行ってきた(右商号登記は、共同事業体を法人化していないため、他に適当な方法がなかったから、代表者格の原告の商号として登記したものにすぎない)。

被告両名及び原告は、右共同事業の一つとして、平成三年一月、被告加代子所有の本件土地建物を施設として、知的障害者を園生として受け入れ各種作業を通じて園生の自立を援護するため、羽曳が丘聖海訓練所「ひまわり園」を開設し、同年三月、大阪府羽曳野市に対し、代表者を原告とする日本心身障害者更生援護会が運営する施設「ひまわり園」として届出をした。「ひまわり園」における被告両名及び原告の役割としては、(1)原告は、ひまわり園の対外的な代表者として当初羽曳野市との折衝を行い、日々の運営の中では園生に提供する食事の調理や施設内で園生が行う作業の指導、援助などを行い、(2)被告加代子は、施設として使用するため本件土地建物を無償で提供したうえ(原告の主張する賃貸借契約ではない)、食事の調理やその手伝い、施設内で園生が行う作業の指導、援助などを行い、(3)被告英夫は、施設内で園生が行う作業の指導、援助の外、園生が施設外で作業を行う場合に自動車で園生を作業現場まで連れて行き、作業の指導、援助を行い、また、各団体などから園生の行う作業を受注する等いわば営業活動を一手に引き受け、更には、日本心身障害者更生援護会全体の経理、会計、資金繰りを行ってきた。

(三) ところが、原告は、平成七年秋頃から欠勤がちになり、同年一二月初旬、一方的に、日本心身障害者更生援護会会長柿原保名義の銀行預金すべてについてその銀行届出印を改印し、キヤツシュカード使用中止の処置をして、被告両名が日本心身障害者更生援護会の預金の払戻しをすることができないようにし、その後、更に欠勤の頻度が増し、「ひまわり園」の運営にほとんど参加しないようになった。

被告両名は、やむをえず二人で「ひまわり園」を運営したが、預金の払戻しができないので、平成八年一月以降、園生の保護者から支払われる毎月の負担金合計約五万円及び大人用紙おむつの売上金平均一〇万円程度の資金で、運営せざるをえなくなった。

一方、原告は、代理人弁護士を通じて、平成八年七月一八日付通知書により、被告英夫に対して日本心身障害者更生援護会の経理一切の事務を中止するよう申し入れてきた。右通知書には、日本心身障害者更生援護会の経理及び「ひまわり園」の運営に当たり、被告英夫が不正行為を行っているかのような表現が取られていたため、被告両名は本件訴訟代理人弁護士に紛争処理を委任した。被告両名の本件訴訟代理人弁護士と原告の代理人弁護士とが話し合った結果、まず、被告英夫が管理していた会計書類を原告側に調査してもらうことになり、本件訴訟代理人弁護士を通じて原告の代理人弁護士に一切の書類を預けたにもかかわらず、原告は、同弁護士の事務所に赴かないまま、平成八年九月六日、同弁護士を解任した。

この間にも、原告は、羽曳野市の担当職員や園生の保護者らに対して、前記平成八年七月一八日付通知書を示すなどして、あたかも被告英夫が不正行為を行っているために被告両名と原告との間に紛争が生じているかのような説明を行い、被告両名が行っている「ひまわり園」の運営を妨害した。

そこで、被告両名は、原告に対して、平成八年九月二日付内容証明郵便をもって、日本心身障害者更生援護会及び「ひまわり園」についての原告との共同運営関係を一切解消するとともに、同年九月一日から、本件土地建物を利用して被告両名のみで「新ひまわり園」の運営を始めたのである。

3  【原告の主張】2は争い、その(一)ないし(八)において原告の運営する「ひまわり園」の営業との誤認混同を生じさせるとして主張するところのうち、右2の記載に反する事実は否認する。

但し、被告英夫が平成八年五月二〇日近畿銀行羽曳野支店に「ひまわり園」新開英夫名義の普通預金口座を開設したことは認める。

第四  当裁判所の判断

一  被告両名は、まず前提として、「ひまわり園」の事業運営は「経済上その収支計算の上に立って行われる事業」とはいえず、「ひまわり園」の名称は簡易心身障害者通所授産施設の施設名称であって、何らかの効用があるとしても不正競争防止法二条一項一号にいう「商号」には該当しない旨主張する。

確かに、簡易心身障害者通所授産施設である「ひまわり園」は、そもそも園生の社会的自立を援助するための作業所であって、営利を目的とした企業ではないことが証拠(原告本人、被告英夫本人)及び弁論の全趣旨により明らかであり、平成七年度収支報告書(甲一七の1)によっても、作業収益金が一〇五万〇七一九円であるのに対して、市町村補助金が一二五〇万円、会費(保護者負担金)が六六万円であって、「ひまわり園」の運営の基盤は羽曳野市から交付される補助金であることが認められる。しかしながら、右不正競争防止法二条一項一号にいう「営業を表示するもの」とは、商法にいう商人の使用する「商号」に限られるものではなく、広く「経済上の収支計算の」に立って行われる事業」を表示するものをいうと解するのが相当であるところ、「ひまわり園」においても、限られた収入の中でより充実した施設とするためには、作業収益金の増加を図る一方、費用の支出を抑えることなどにより、収支の均衡を図ることが求められるのであるから、簡易心身障害者通所授産施設であってその運営が補助金や会費(保護者負担金)によるところが大きいとしても、やはり「経済上の収支計算の上に立って行われる事業」ということができ、したがって、授産施設であるという一事をもって直ちに「ひまわり園」の名称が同号にいう営業表示に該当しないとすることはできず、同号にいう営業表示たりうるものといわなければならない。

また、被告両名は、「ひまわり園」の名称は羽曳が丘西三丁目六番一四号所在の簡易心身障害者通所授産施設から独立した個人又は法人の商号ではないと主張するが、この点はさておき、以下、「ひまわり園」の名称が原告の営業を表示する営業表示として広く認識され、被告両名が「新ひまわり園」又は「ひまわり園」の名称を使用して心身障害者施設を運営することにより原告の営業との誤認混同を生じさせ、原告の営業上の利益を侵害しているか否かについて検討する。

二  証拠(各項掲記のもの)及び弁論の全趣旨によれば、次の1ないし6の事実が認められる。

1  原告は、昭和四三年九月、当時の自宅(大阪市東淀川区下新庄)を事務所として日本心身障害者更生援護会を創設し、昭和五一年「さかえ保育園」の設立に、昭和五四年「はま保育園」の設立にそれぞれ寄与し、また、昭和五五年四月、身体障害者及び知的障害者の職場を提供する目的で守口市内に「あゆみ作業所」を設置した。なお、原告は、昭和五七年一月、日本心身障害者更生援護会の施設整備の資金を募集することを目的として、同年二月三日と四日に国鉄我孫子町駅前で、同年二月一日から三月三〇日までの間難波髙島屋前で街頭募金を行うことにつき、大阪府知事の認可を受けた(甲六の4、一六、原告本人)。

更に、原告は、着物振興会から紹介された荒金ときえを指導員とし、大阪市阿倍野区文の里に事務所を置いてきもの着付師の職業紹介所を始めた(原告本人)。

2  原告は、昭和六〇年、荒金ときえから、その友人の被告加代子を、次いで被告英夫を紹介された。被告両名は、当時その父の経営する新開運輸倉庫に勤めていたところ、近畿運輸局から新開運輸倉庫に対して、近々業務監査を行うが、仮に免許基準を満たしておらず、かつ、期限内に基準を満たすことができないときは、免許取消となる旨の通知があったことから、被告英夫が原告に相談した結果、同年九月、原告は、業務監査の問題の解決のため、新開運輸倉庫と顧問契約を締結することになった。

しかしながら、原告及び被告英夫の方針について新開運輸倉庫社内で反対があり、同年一二月、原告は右顧問契約を解除され、被告両名は、昭和六一年二月、新開運輸倉庫を退職した(甲一六、乙八、原告本人、被告英夫本人)。

3  その後、被告両名は、原告と行動を共にし、きもの着付師関係の事業や福祉関係の機関誌発行等を行った。

原告は、昭和六三年二月一七日、被告英夫に手続を依頼して、営業所の所在地を大阪市南区谷町六丁目三番一二号、営業の種類を印刷及び出版、一般区域貨物自動車運送事業、内航運送業等、商号使用者を原告とする「日本心身障害者更生援護会」の商号の登記をした(乙一三)。

また、遺体搬送の事業を行うため、原告は、昭和六三年四月一三日付で、近畿運輸局長に対して、事業区域を大阪府、業務の範囲を宮型等の装飾を施していない霊柩自動車(いわゆるバン型車両)による遺体の輸送に限るとする一般区域貨物自動車運送事業(限定)の免許を申請し、平成二年三月三〇日、同免許を受けた(甲八の4)。右免許取得の要件を満たすために、原告と被告加代子は、被告加代子所有の本件土地建物(乙六、七)について、賃貸人を被告加代子、賃借人を日本心身障害者更生援護会会長柿原保(原告)とし、使用目的を、建物については事務所、仮眠室、休憩所、倉庫、障害者の授産施設、土地については有蓋車庫を建設し車庫及び点検場、賃料一か月五万円とする平成元年一〇月一日付賃貸契約書(甲四)を作成した(原告本人、被告英夫本人)。

しかし、右のような事業は、いずれもうまく行かず、行き詰まった(被告英夫本人)。

4  被告両名は、昭和六三年頃から本件土地建物の正面に「ここに知的障害者の施設を被告両名が援護会の原告の後援で作る」旨の看板を設置していたが、平成三年四月、原告が代表者、被告英夫が園長、被告加代子が指導員となって、本件土地建物において知的障害者の社会的自立を目的とした「ひまわり園」を開設し、羽曳野市に対し、簡易心身障害者通所授産施設の羽曳が丘聖海更生訓練所「ひまわり園」、設置運営の主体・日本心身障害者更生援護会として開所届を提出した。その際、「日本心身障害者更生援護会会長 柿原保」名義で、「羽曳が丘西三丁目町内会六番ブロック(11軒)及び向い三軒の開所挨拶の経過報告書」と題して「羽曳が丘聖海更生訓練所所長 新開英夫、指導員 新開加代子随行」により挨拶回りをした経過を報告する平成三年四月二日付文書(甲二四)も提出した。被告英夫は、「ひまわり園」の園生による園内外での自動消火器の取付け、大人用紙おむつ・介護用品の製造販売等の作業の指導、援助を行い、園長として各団体から作業を受注するためのいわば営業活動を行うとともに、作業収益金を集金して「日本心身障害者更生援護会会長柿原保」名のゴム印、「日本心身障害者更生援護会」の角印、会長の丸印を押捺した領収証を発行するなど経理も担当した。同年一一月、「ひまわり園」は、園生が七名に達し、羽曳野市から最初の補助金一五〇万円の交付を受けた。原告は、「ひまわり園」の対外的な代表者として開設に当たって羽曳野市との折衝を行ったほか、園生の食事の調理や園生による園内での作業の指導、援助を行った。被告加代子は、食事の調理の手伝いや園生による園内での作業の指導、援助を行った(乙八、原告本人、被告英夫本人)。

「ひまわり園」における二つの主たる作業のうちの一方の大人用紙おむつの販売については、その販売用チラシに「取次・連絡先 羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園 製造・発売元 日本心身障害者更生援護会」と印刷されており(甲九の16)、被告英夫が園生とともに富田林病院で出張販売するほかは、各福祉事務所を通じて販売する程度であり(原告本人)、平成五年度には、社会福祉法人大阪市北区社会福祉協議会・地域社会福祉協議会の実施する紙おむつ宅配サービス事業について、同協議会から委託を受けてこれを実施した(甲九の7)。もう一方の自動消火器の取付け作業に当たっても、被告英夫が取付け現場まで園生とともに赴き、実際にはその作業の大半を自ら行っていた(被告英夫)。

「ひまわり園」の開園は、平成三年五月一六日付朝日新聞(甲七の1)、羽曳野市民生児童委員協議会同年一二月一日発行の「民児協はびきの」(甲七の2)、社会福祉法人大阪市北区社会福祉協議会一九九二年(平成四年)五月発行の「北区社協だより」第三号(甲七の3)で取り上げられた。右朝日新聞の記事は、「心身障害者の施設『ひまわり園』開園」との見出しの本文一行一二字二〇行の小さな記事であり、羽曳が丘聖海更生訓練所「ひまわり園」は日本心身障害者更生援護会(柿原保会長)が設置し、運営に当たること、精神薄弱者を中心に七ないし一五名を受け入れ、文具品の金箔押しや雑貨の袋詰め・箱詰めの作業をすることで自立を目指すことなどが記載されている。「民児協はびきの」の記事は、「心身障害者の授産施設ひまわり園

お力添えを」との見出しの本文一行一二字五七行(写真入り三段)の記事であり、羽曳が丘聖海更生訓練所「ひまわり園」は、四月に開園し、現在園生が九人おり、日本心身障害者更生援護会(柿原保会長)が設置し、運営に当たっていること、仕事内容は、「一、大人用の紙オムツの製造(委託)、小分け、および販売。現在富田林病院(済生会)で出張販売。また、社協へ営業活動。二、共同訓練作業としてコクヨ(株)のクリアケースの中紙入れ作業 箔押し作業(名刺、ライター、名刺ホルダー)、旅行用セットの中味入れ(タオルたたみ、石鹸、ハブラシ入れ)。三、自動消火器、火災警報機(厚生省日常生活用具給付対象品)を、福祉事務所へ営業とその取り付け作業。」であることなどが記載されている。「北区社協だより」の記事は、「得する一口メモ」と題する一行一七字二六行の写真入り囲み記事であり、「心身障害者通所施設『ひまわり園』では、仕事のひとつとして、訓練生が安価な大人用紙おむつ(ポリマー入)の製造、販売を行っています。」などと記載され、問合せ先として「羽曳が丘聖海更生訓練所 ひまわり園」の名称と住所・電話番号が掲載されている。

平成六年二月一七日、日本心身障害者更生援護会・ひまわり園に対して、大阪日産モーター株式会社中古車部から、身体障害者用車両としてマツダボンゴバンGLが寄贈され、同車両は、同月二五日、所有者を羽曳野市羽曳が丘西三丁目六-一四の被告加代子として登録された(甲一四の1・2)。

被告英夫は、福祉機器住宅研究会一九九六年(平成八年)三月二日発行の「ハンディをささえるモノづくり通信」に、「ひまわり園・園長 新開英夫」の肩書で、「自立、社会参加を促す」「人格を持った人間として」との見出しのもとに、平成三年四月に日本心身障害者更生援護会会長の原告が「ひまわり園」を創設したこと、右援護会の事務局を担当していた被告英夫は園長として会長の福祉の理念を基本に仲間とともに生きることになったこと、「ひまわり園」における園内外での作業等の活動の内容を記載した文章を掲載した(甲九の6)。

「羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園」に対する補助金に関して、平成六年度分の交付申請書類(甲一七の2)、平成五年度分の収支報告書(甲一七の3)及び平成七年度収支報告書(甲一七の1)各添付の「指導員等職員体制」の欄には、いずれも事業責任者として原告の氏名が、指導員として被告両名の氏名が記載され、平成七年度事業実績書(甲一七の1)には、設置主体及び運営主体の各欄に「日本心身障害者更生援護会(代表者名:会長柿原保)」と記載されている。

「ひまわり園」の税金の関係についても、経理担当の被告英夫が手続を担当し、「日本心身障害者更生援護会 柿原保」として、平成六年分(甲一一の2)及び平成七年分(甲二〇の1)の各所得税の確定申告をしており、平成六年分所得税青色申告決算書(甲一一の3・4)には、「給料賃金の内訳」の項に被告両名と園生一名の各氏名が記載されている。

5  「ひまわり園」の運営資金の管理のために、三和銀行谷町支店、住友銀行谷町支店、近畿銀行羽曳野支店にそれぞれ原告名義の銀行預金口座を開設し、各預金通帳及び銀行届出印を経理担当の被告英夫が管理していたところ、平成七年秋に至って、同年七月に被告英夫が前記のような各印を押捺した領収証(甲九の1)を発行して大阪市天王寺区社会福祉協議会から受領した防水デニムシーツの代金六〇万円について、仕入先への支払に充てたとの被告英夫の説明に原告が納得しなかったことから、原告と被告両名の間がうまく行かなくなり、原告は、その後「ひまわり園」を欠勤しがちになり、同年一二月、被告両名に事前に相談することもなく、右各銀行の届出印をすべて改印した(甲一六、原告本人、被告英夫本人)。このため、被告英夫は、平成八年五月、近畿銀行羽曳野支店に、「ひまわり園 新開英夫」名義の普通預金口座を開設した(甲一)。

そして、被告英夫は、平成八年五月二四日、株式会社モーリに対して「羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園 新開英夫」名義で大人用紙おむつを発注し(甲九の9)、これを株式会社メディケアリハビリに販売して、同年六月一一日、同社から同口座に代金八万九六一〇円の振込みを受け、また、同年七月九日、石田化学工業株式会社から同口座に作業代金九万九五五〇円の振込みを受けた(甲一)。更に、被告英夫は、同年六月二六日、「ひまわり園 新開英夫」名義で、原田産業株式会社に対してエアーポンプの修理を依頼した(甲九の12~15)。

原告は、平成八年六月、被告両名に事前に相談することなく、「ひまわり園」が使用していた電話回線を、羽曳野市はびきの四丁目六番四号へ移転する手続をとった(乙八、原告本人)。

平成八年五月三一日付の「日本心身障害者更生援護会 会長 柿原保」宛の健康保険厚生年金保険被保険者資格喪失確認通知書(甲二二)には、被保険者である被告両名が同日退職したことにより資格を喪失したことを確認する旨記載され、平成八年一二月四日付各雇用保険被保険者資格取得等確認通知書(甲八の1・2)には、事業所名略称「ニホンシンシンショウガイシャ コウセイエンゴカイ カキハ」の被保険者である被告両名が平成二年七月一九日に被保険者となったことを確認する旨記載されている。

6  被告両名は、平成八年九月二日付内容証明郵便により、原告に対し、原告との「ひまわり園」の共同経営を解消し、かつ、被告加代子所有の本件土地建物を「ひまわり園」の施設として提供するとの合意を解約し、今後は本件土地建物において被告両名で新しい「ひまわり園」を共同経営していく旨通知した(乙二の1・2)

そして、被告両名は、同年九月、原告と別れた被告両名の新「ひまわり園」に入所したいとの意思を確認するため、園生の保護者九名及び園生本人一名から、「ひまわり園 新開英夫」宛の入園申込書(乙九の1~10)の提出を受けた。そのうちの保護者六名及び園生本人二名は、原告に対し、「お知らせ」と題する各平成九年二月二〇日付内容証明郵便(乙一〇の1~8)により、平成八年八月末日をもって日本心身障害者更生援護会が運営していた羽曳が丘聖海更生訓練所・「ひまわり園」(旧「ひまわり園」)を退園し、同年九月一日より被告英夫の運営する「ひまわり園」(「新ひまわり園」)に入園届を提出して通園しているので、今後、原告とは一切かかわりたくない旨通知した(被告英夫)。

一方、原告は、平成八年一〇月、「ひまわり園」を羽曳野市はびきの四丁目六番四号に移転したとしている(弁論の全趣旨)。

前記一認定のとおり「ひまわり園」の運営の基盤は羽曳野市から交付される補助金であり、前記平成三年一一月以来毎年補助金の交付を受けていたが、原告が羽曳野市に申入れをしたことから、同市は、原告と被告英夫の双方が一緒に役所に来て説明しない限りいずれにも補助金を交付できないとしているため、平成八年二月に「ひまわり園 柿原保」宛に平成七年度の差額分八〇万円の交付を受けた(甲三)のを最後に、被告両名も原告も、平成八年度以降の分の補助金の交付を受けられないままになっている(被告英夫本人)。

大阪府富田林養護学校進路委員会が平成九年一月現在で作成した「校区内の作業所授産施設の現状報告書」には、他の二〇の施設とともに羽曳野市羽曳が丘西三-六-一四所在の「ひまわり園」が挙げられており、運営母体の欄には「ひまわり園 園長 新開英夫」と記載されている(乙一二)。

三  右二認定の事実によれば、(1)原告は、昭和四三年から日本心身障害者更生援護会の名称で福祉活動をしていたところ、昭和六一年二月以降、新開運輸倉庫を退職した被告両名とともに、きもの着付師関係の事業や福祉関係の機関誌発行等を行い、昭和六三年二月一七日、被告英夫に手続を依頼して、営業所の所在地を大阪市南区谷町六丁目三番一二号、営業の種類を印刷及び出版、一般区域貨物自動車運送事業、内航運送業等、商号使用者を原告とする「日本心身障害者更生援護会」の商号の登記をし、また、遺体搬送の事業を行うため、平成二年三月三〇日、近畿運輸局長から一般区域貨物自動車運送事業(限定)の免許を受け、右免許取得の要件を満たすために、被告加代子所有の本件土地建物について、賃貸人を被告加代子、賃借人を日本心身障害者更生援護会会長柿原保(原告)とし、使用目的を事務所、有蓋車庫等とする平成元年一〇月一日付賃貸契約書を作成するなどしたが、いずれの事業もうまく行かず、行き詰まった、(2)被告両名は、昭和六三年頃から本件土地建物の正面に「ここに知的障害者の施設を被告両名が援護会の原告の後援で作る」旨の看板を設置していたが、平成三年四月、原告が代表者、被告英夫が園長、被告加代子が指導員となって本件土地建物において知的障害者の社会的自立を目的とした「ひまわり園」を開設し、羽曳野市に対し、簡易心身障害者通所授産施設の羽曳が丘聖海更生訓練所「ひまわり園」、設置運営主体・日本心身障害者更生援護会として開所届を提出し、その際、「日本心身障害者更生援護会会長 柿原保」名義の「羽曳が丘西三丁目町内会六番ブロック(11軒)及び向い三軒の開所挨拶の経過報告書」も提出した、(3)被告英夫は、「ひまわり園」の園生による園内外での自動消火器の取付け、大人用紙おむつ・介護用品の製造販売等の作業の指導、援助を行い、園長として各団体から作業を受注するためのいわば営業活動を行うとともに、作業収益金を集金して「日本心身障害者更生援護会会長柿原保」名義の領収証を発行するなど経理も担当し、原告は、「ひまわり園」の対外的な代表者として開設に当たって羽曳野市との折衝を行ったほか、園生の食事の調理や園生による園内での作業の指導、援助を行い、被告加代子は、食事の調理の手伝いや園生による園内での作業の指導、援助を行ったが、「ひまわり園」における二つの主たる作業のうちの一方の大人用紙おむつの販売については、その販売用チラシに「取次・連絡先 羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園 製造・発売元 日本心身障害者更生援護会」と印刷されており、被告英夫が園生とともに富田林病院で出張販売するほかは、各福祉事務所を通じて販売する程度であり、もう一方の自動消火器の取付け作業に当たっても、被告英夫が取付け現場まで園生とともに赴き、実際にはその作業の大半を自ら行っていた、(4)「ひまわり園」の開園は、平成三年五月一六日付朝日新聞、羽曳野市民生児童委員協議会同年一二月一日発行の「民児協はびきの」、社会福祉法人大阪市北区社会福祉協議会一九九二年(平成四年)五月発行の「北区社協だより」で取り上げられ、朝日新聞の記事は、「心身障害者の施設『ひまわり園』開園」との見出しの本文一行一二字二〇行の小さな記事、「民児協はびきの」の記事は、「心身障害者の授産施設ひまわり園 お力添えを」との見出しの本文一行一二字五七行(写真入り三段)の記事であり、設置運営主体の点について、いずれも日本心身障害者更生援護会(柿原保会長)であることが記載されているが、「北区社協だより」の記事は、「得する一口メモ」と題する一行一七字二六行の写真入り囲み記事であり、問合せ先として「羽曳が丘聖海更生訓練所 ひまわり園」の名称と住所・電話番号が掲載されているにとどまり、また、被告英夫は、福祉機器住宅研究会一九九六年(平成八年)三月二日発行の「ハンディをささえるモノづくり通信」に、「ひまわり園・園長 新開英夫」の肩書で「自立、社会参加を促す」「人格を持った人間として」との見出しのもとに平成三年四月に日本心身障害者更生援護会会長の原告が「ひまわり園」を創設したことなどを記載した文章を掲載した、(5)「羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園」に対する補助金に関して、平成六年度分の交付申請書類、平成五年度分の収支報告書及び平成七年度収支報告書各添付の「指導員等職員体制」の欄には、いずれも事業責任者として原告の氏名が、指導員として被告両名の氏名が記載され、平成七年度事業実績書には、設置主体及び運営主体の各欄に「日本心身障害者更生援護会(代表者名:柿原保)と記載され、「ひまわり園」の税金に関しても、経理担当の被告英夫が担当し、「日本心身障害者更生援護会 柿原保」として平成六年分及び平成七年分の各所得税の確定申告をしており、平成六年分所得税青色申告決算書には「給料賃金の内訳」の項に被告両名と園生一名の各氏名が記載されている、(6)「ひまわり園」の運営資金の管理のために、原告名義の銀行預金口座を開設し、各預金通帳及び銀行届出印を経理担当の被告英夫が管理していたところ、平成七年秋に至って、同年七月に被告英夫が受領した作業代金の問題から原告と被告両名の間がうまく行かなくなり、原告は、その後「ひまわり園」を欠勤しがちになり、被告両名に事前に相談することなく、同年一二月、各銀行の届出印をすべて改印し、平成八年六月、「ひまわり園」が使用していた電話回線を、羽曳野市はびきの四丁目六番四号へ移転する手続をとり、また、同年五月三一日付の「日本心身障害者更生援護会会長柿原保」宛の健康保険厚生年金保険被保険者資格喪失確認通知書には、被保険者である被告両名が同日退職により資格を喪失したことを確認する旨記載され、同年一二月四日付各雇用保険被保険者資格取得等確認通知書には、事業所名略称「ニホンシンシンショウガイシャ コウセイエンゴカイ カキハ」の被保険者である被告両名が平成二年七月一九日に被保険者となったことを確認する旨記載されている、(7)被告英夫は、平成八年五月、近畿銀行羽曳野支店に「ひまわり園 新開英夫」名義の普通預金口座を開設したうえ、「羽曳が丘聖海更生訓練所・ひまわり園 新開英夫」名義で大人用紙おむつを発注するなどして同口座に作業代金の振込みを受け、「ひまわり園 新開英夫」名義でエアーポンプの修理を依頼した、(8)被告両名は、平成八年九月二日付内容証明郵便により、原告に対し、原告との「ひまわり園」の共同経営を解消し、かつ、被告加代子所有の本件土地建物を「ひまわり園」の施設として提供するとの合意を解約する旨通知し、園生の保護者九名及び園生本人一名から「ひまわり園 新開英夫」宛の入園申込書の提出を受け、そのうちの保護者六名及び園生本人二名は、原告に対し、各平成九年二月二〇日付内容証明郵便により、平成八年八月末日をもって日本心身障害者更生援護会が運営していた「旧ひまわり園」を退園して同年九月一日より被告英夫の運営する「新ひまわり園」に通園しているので、今後原告とは一切かかわりたくない旨通知した、(9)一方、原告は、平成八年一〇月、「ひまわり園」を羽曳野市はびきの四丁目六番四号に移転したとしており、原告の申入れを受けて羽曳野市が原告と被告英夫の双方が一緒に役所に来て説明しない限りいずれにも補助金を交付できないとしているため、被告両名も原告も、平成八年度以降の分の補助金の交付を受けられないままになっているが、大阪府富田林養護学校進路委員会が平成九年一月現在で作成した「校区内の作業所授産施設の現状報告書」には、「ひまわり園 園長 新開英夫」が運営母体の施設として羽曳野市羽曳が丘西三-六-一四所在の「ひまわり園」が挙げられている、というのである。

このように、平成三年四月に設置運営主体を日本心身障害者更生援護会として開設された「ひまわり園」の事業は、そもそも知的障害者の社会的自立を目的とした簡易心身障害者通所授産施設の運営であり、補助金交付申請のために羽曳野市に提出する書類では原告を日本心身障害者更生援護会の会長、事業責任者あるいは代表者とし、作業を発注した各団体から作業収益金を受領した際の受領証の名義は「日本心身障害者更生援護会会長柿原保」とし、税金の関係では被告両名が原告から給与を受け取ったものとして原告名義で所得税の確定申告をしていたものの、被告英夫が園長として各団体から「ひまわり園」における作業を受注するためのいわば営業活動を行い、その二つの主たる作業のうちの一方の大人用紙おむつの販売についても、一般の小売店で販売するというようなものではなく、被告英夫が園生とともに富田林病院で出張販売するほかは、各福祉事務所を通じて販売する程度であり、もう一方の自動消火器の取付け作業に当たっても、被告英夫が取付け現場まで園生とともに赴き、実際にはその作業の大半を自ら行っていたのであり、これに対し、原告がこれらの営業活動や園外作業にどの程度関わっていたのかこれを認めるに足りる証拠はないこと、「ひまわり園」の開園は朝日新聞、「民児協はびきの」、「北区社協だより」で取り上げられたが、「ひまわり園」を設置運営する日本心身障害者更生援護会の会長として原告の名前が記載されているのは前二者だけであり、その朝日新聞の記事は、本文一行一二字二〇行の小さな記事であって、読者の注意を惹くとはいい難く、「民児協はびきの」は、本件全証拠によるも、その配布対象、配布枚数、配布回数が明らかでなく、大人用紙おむつの販売用チラシにも原告の名前は印刷されておらず、他方、被告英夫は、福祉機器住宅研究会発行の「ハンディをささえるモノづくり通信」に「ひまわり園・園長 新開英夫」の肩書で文章を掲載していること、被告英夫は、原告との間がうまく行かなくなった後の平成八年五月、近畿銀行羽曳野支店に「ひまわり園 新開英夫」名義の普通預金口座を開設したうえ、同口座に作業代金の振込みを受け、あるいは「ひまわり園 新開英夫」名義で発注するなどしたこと、原告は、平成八年一〇月に「ひまわり園」を羽曳野市はびきの四丁目六番四号に移転したとしているが、園生ないし保護者は、日本心身障害者更生援護会が経営していた「旧ひまわり園」と被告両名が平成八年九月一日以降経営している「新ひまわり園」とを明確に区別したうえで、原告に対し、平成八年八月末日をもって「旧ひまわり園」を退園して同年九月一日以降「新ひまわり園」に通園している旨表明していること、羽曳野市も、原告と被告両名とが紛争状態にあることを認識し、原告と被告英夫の双方が一緒に役所に来て説明しない限り補助金を交付できないとしており、大阪府富田林養護学校進路委員会は、平成九年一月現在、「ひまわり園 園長 新開英夫」が運営母体の施設として羽曳野市羽曳が丘西三-六-一四所在の「ひまわり園」を認識していることに徴すれば、日本心身障害者更生援護会の「ひまわり園」の運営の実体が原告と被告両名の共同運営であったか否かはともかく、平成七年秋に原告と被告両名の間がうまく行かなくなった時点、あるいは平成八年九月に被告両名が完全に原告と袂を分かった時点、更には現在においても、「ひまわり園」の名称が原告の営業を表示する営業表示として広く認識されているとか、被告両名が「新ひまわり園」又は「ひまわり園」の名称を使用して心身障害者施設を運営することにより原告の営業との誤認混同を生じさせあるいはそのおそれがあるということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

したがって、右事実を前提とする原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

第五  結論

よって、主文のとおり判決する(口頭弁論終結日平成九年一一月二七日)。

(裁判長裁判官 水野武 裁判官 田中俊次 裁判官 小出啓子)

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